すべて自分の力?今ある自分の姿は、誰かへの感謝でできている。


 

大好きな後輩に、私はちっぽけな力を貸した。

この後輩にはすごく行きたい会社があって、私はその会社の人事部採用担当の方に後輩を紹介して、ふたりの会う場を作ることが出来た。

数日後、後輩から電話が来た。どうやらその人事さんとすごく盛り上がって、インターンに行けることになったというのだ。その事実が心から嬉しかったし、報告してくれたことがすごく嬉しかった。思った以上の嬉しいものになって、感謝の言葉と一緒に返ってきたのだ。

 

感謝を言葉にする、相手に見せる。きっと後輩も当たり前のようにしただけなのだろう。この些細なことで、けれどもすごく嬉しいことで、私は気づかされたことがあった。

それは、過去に私は、感謝を怠ったことで信頼を失ったことがあるからだ。今ある自分を自分のお陰だと思って、感謝をなおざりにしたせいで。

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誰かの手を借りて、そうして上手くいって、成功して。誰かに感謝すべき時は、誰しもある。けれども案外、その渦中にいる自分自身は成果を出すことに必死で、成果を出したら出したで達成感に満ちあふれてしまっているもので。まるですべて自分の力のように錯覚しては、その感謝すべき人に感謝することを忘れてしまったり、おざなりになっていることも少なくはないはず。

 

大学2年生の春、私は失敗ばかりで自信が奈落の底に落ちていた時、私はある社会人の方に救われた。「よーちゃん、そんなくすぶってるような子じゃないでしょ?」と、私の可能性を見いだしてくれた人だった。

その人は明らかに私のターニングポイントであり、私に期待してくれていた。営業で実績を残して自信がついたのも、言葉を意識してブログを書くようになったのも、物事を深く考えるようになったのも、全てその人がキッカケだった。

 

けれども、そうして周りから評価されるようになって、私は正直うぬぼれていた。何かあったら逐一報告しに行くべきだっただろうに、その度に感謝の気持ちを伝えるべきだっただろうに、私はそれを怠ってしまったのだ。

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そんなことに気づかずに、久しぶりにその人に会いに行くと、なんだか反応が冷たかった。話は聞いてくれる、けれども心がこっちを見ていないような。そうして言われた言葉が、何よりも響いて、悲しかった。

『信頼を得ることよりも、信頼を失ってから取り戻す方が、何倍も時間がかかるんだよ』

私は信頼を失っていたのだ。そんなの当たり前だ。その人は私に期待をして、その人の時間をかけて、何度も私のことを考えてくれていた。なのに、感謝の言葉ひとつもないまま、まるで自分の力でやってきたかのように自惚れていたんだから。

 

私はそれ以来、その人に会いにいけなくなった。信頼を失ったことが怖くて、その事実が辛くて。それでも信頼を取り戻しにいくと、前のめりに行けば良かったのに。

その人がキッカケで始めた、ずっとアドバイスしてくれていたこのブログも、今は読んでいるかも分からない。そのブログにこうして今やっと気づいて書いているのも、皮肉なものなんだけれども。

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こう気づかせてくれた、後輩の話に戻ろう。後輩はすごく仲が良くて、上とか下とか関係ないような仲だけれど。それでも私の行為に、ちゃんと私に感謝の言葉を返してくれた。

よーちゃんと電話した。 
よーちゃん喜んでた。
よーちゃん喜んでくれて嬉しかった。

期待に応える。
がんばるで。

Twitterとやらに、こんなツイートまでして。言葉に加えて、期待にも応えようって。私のちっぽけな力を、何重にも丁寧に包んで、リボンつけてまで返してくれた。

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私たちはどれだけの感謝を言葉にして返せているのだろう、どれだけの感謝に気づいているのだろう。最初から感謝を見返りに求めている人はいない。けれども人として、感謝して返すという行為は当たり前のカタチだ。今ある自分の姿は、誰かへの感謝でできているのだから。

誰かが自分に期待や信頼を持ってくれていることは、すごく幸せなことだ。けれども今の自分が当たり前だと思っているのなら、それは誰かへの感謝を見落としているのかもしれない。裏で誰かを虚しくさせているのかもしれない、大切なものを失っているかもしれない。

 

私も偉そうに言っているけれど、過去の失敗は取り戻せない。そんな私はこれからも、たくさんの感謝に気づいて生きていくのだろう。だからまだまだ感謝を返す、長い道のりの途中なのだ。