人を動かしたい、誰かの人生に関わりたい。その想いは『誰のため』ですか?


 

人を動かす、人を変える、誰かの人生を変えるということ。誰かを幸せにしたい、誰かのターニングポイントになりたい。人の人生の岐路に関わりたいという想いは、誰にでもあるはず。

それを目的に行動している人も、生業としている人もたくさん居る。けれども、人を動かすとは、人生を変えるとは何なのか考えなければいけない、と思うのです。

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私はどちらかといえば影響を受けやすい、ミーハー体質です。過去を振り返っても、人や環境が自分自身に変化を与えてきた経験はたくさんあり、『この人との出会いで自分が、人生が変わった』という感覚もありました。

そうして今も、遠く離れたインドでまた、ある人によって変えられている事実があります。この人は私だけではなく多くの人の人生を変えてきた。誰かの進路も、仕事も、そして未来も。そして、これからも変えていくのだろうと感じる人。

人を動かす、人の人生を変える、どうしてそんなことができるのか聞いてみました。すると答えはすごくシンプルで。
『それは愛があるからだよ』
今目の前の人を最大に愛す、愛を注ぐ。愛を受ければ、相手は全力で応えようとし、すべてが行動に現れてくる。真理だと思いました。何より自分が愛を注がれていると感じた張本人であるからか、強くそう感じました。

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一方で、某人材コンサルティング会社のインターンに行った時のことを思い出しました。このプログラムは人と社会を動かす人間になるべく、自分の『理念』を見つけるという目的のもの。仲間と一緒に様々なミッションに取り組み、限界に挑戦する。そうして1週間のプログラムの中で、周りのメンバーは理念を見つけ、人生が変わったとも語っていました。

そうして迎えた修了式。ひとりひとりに修了証とプレゼントが渡され、インターンの責任者からメッセージを受け取る。「君はこんな理念を見つけたね」「君はこの数日間で大きく変化していったね」みんながそう言葉をもらう中、私が言われた言葉。

「みやけようは、みやけようだ。変わらずそのまま、自分らしく生きていってくれ!」

私は気づいていました。私は参加する前に変わるのなら変わりたい意志もあった。けれども、自分は何も変わっていなかったし、正直、どんな言葉も響いていなかった。

 

どうして私は変わらなかったのか。それは私には変えようとしてくる目的が見えてしまったから。もちろんそういう目的のプログラムだから仕方のないことだし、現に自己の変化を感じた人たちがいたことからも、プログラム自体は成功のはず。

けれども、私には違和感がありました。プログラムはひとりひとりに熱意を注いでいるわけではなく、あくまでキッカケ(プログラム)を与えて、調理するのは私たち。みんなまとめて変えてやんよ、という何かの達成感のような。だから、そこには誰からの愛情も熱意も私ひとりに注いでいるものが感じられなかった。

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人を変える、人の人生を変える、それは一歩間違えれば自分本位の達成感になる。誰かに変化を与えたことで感謝される、その見返りを期待していては自己満足でしかない。何より、相手の本当の幸せなのかなんて関係ない感情。

人の人生に関わるという、なにより全力で相手のことを思っている中で、自分の利益なんて考える隙間はない。本当に人を変えることが、人の人生を変えることが出来る人は、今目の前の人にとてつもない量の愛を注ぎ込いでいるように感じます。今まで出会ってきた人たちも、含めて。

だから叱ることもできる、褒めることもできる、突き放すこともできる。その時は本人は辛いし苦しいかもしれない。けれども、そんな感情は返上。相手のことを思っているからこそ、自分の感情より相手のことを見ている、考えているからできること。

 

何人の『人生という名の小説』に、名前を書き込まれているんだろう。

人の人生に影響を与えたいと思っている人は、すごく多い。けれどもそれだけの責任感と愛を持っている人は、すごく少ない。その自覚をしていない限り、人を動かすことなんてできないと思うのです。