『当たり前』なんてこの世界に存在しない、だから私は全力で生きることを選んだ。


 

2014年3月11日。私は『当たり前』なんてこの世に存在しないと知りました。だから、全力で生きることを選びました。 書くことが好きな私も、未だにこの記憶は書くには、時間がかかるようです。

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2011年3月はじめ。高校の卒業式を終え、私は何ら変わらぬ毎日を過ごしていました。当たり前に家に帰って、当たり前に家族と喋って、当たり前にご飯を食べて、当たり前に笑って。

大学進学を控えていてもバタバタすることもなく、ふわふわと穏やかな毎日。今思えば、恐ろしいくらいに。まるで、その先のことを予知していたかのように。

 

2011年3月11日。私は家族揃って用事で県外に出ていました。その帰路で、あの悲劇が起こった。

東日本大震災、マグニチュード9.0。テレビ画面に浮かび上がる、仙台空港が大きな波に飲み込まれる映像。けれどもそれを見ても、私は妙に冷静でした。

私の実家は名取市閖上、宮城県の海沿いにある港町。幼い頃から地震といえば『津波』の二文字が浮かび上がるくらいには、防災意識もそれなりに高い。だからなのか、東日本大震災が起きた時も変な自信がありました。

『大丈夫でしょ』『みんな避難してるよ』

 

家には留守番をしている祖父母もいました。だけどきっと、何事もなく元気にしている。私たちを見送った時と同じように、いつものようにあの家で迎えてくれる。『生』の文字しか頭にありませんでした。

けれども、家族の顔つきが違う。何かを察して、けっして冷静とはいえないような空気感がありました。急いで宮城に戻ると、父と兄だけで家の様子を見に行くというのです。

「私も行きたい」「瑶はダメだ、ここにいなさい」私は大人しく、母の実家にいることになりました。

電気も通じない、水も出ない、もちろんネットも繋がらない。ただただ根拠のない自信だけを持って、父と兄の帰りを待っていた気がします。

 

日が経つにつれて明らかになる現状。実家が津波に飲み込まれたこと、じいちゃんもばあちゃんもどこの避難所にもいないこと。けれども自分の目で見ていないから、信じられないまま、時間だけが恐ろしくゆっくりと進んでいくのです。

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震災2日後、初めて町に足を踏み入れました。正しい表現か分からないけれど、人の音がない。当たり前に住んでいた町も、家も、何もかもが変わり果てていて。

震災4日後、じいちゃんと悲しみの再会。震災6日後、ばあちゃんと悲しみの再会。

やっと、自分のおかれた状況を飲み込めた瞬間でした。けれども正直、じいちゃんばあちゃんを泣きながら見送っても、それでもまだ実感がなかったのです

 

脳は本当によくできている。今まで過ごしていた、自分の網膜に焼き付いているあの当たり前の日々を信じたかった、ただそれだけで記憶そのものが歪んでいて。ここまで書いた今でも、あいまいな記憶しかないのです。

 

気がつくと私は宮城県を離れて、ひとり夜行バスで京都に向かっていた。大学の入学式を終えて、自分の居場所を作ろうと過ごす日々。1年間自分が被災していることを隠し続け、自分の感情をどこか深いところにしまっていました。

そしてある日突然、何かがプツンと音を立てて切れた。ひとりの部屋で、涙が溢れて止まらない。

『ああ、私は被災したんだ』

じいちゃんもばあちゃんも居なくなった、あの家もなくなった、あの町がなくなった。当たり前だと思っていた日常を失った。

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私はこの日から、全力で走り出した、全力で生きることを選んだ。目の前に現れたもの、自分のやりたいこと、全部が全部に首をつっこんだ。考えながら走り続けた、止まろうなんて思わなかった。

振り返るなら、あとでいい。当たり前なんて、この世界には存在しない。

当たり前とは『そうだと信じていたい世界』だ。音を立てて崩れることも、音もなくこつぜんと姿を消すこともある。当たり前は思考を止める、当たり前は行動を止める『今』に依存させようとするんだ

 

ずっと全力で走り続けなければいけない、全力で生きなければいけない。これはハタから見てしんどい生き方かもしれない。だけど止まれない、今見ている世界は『今見ていたい世界』なだけだから。

目に見えないものを背負って、目に見えないものに急かされて。そうしたら、なんだかおもしろい『今』が沢山あった。

たくさんの人に出会った、たくさんのものを見た、たくさんのことに触れた。全力でぶつかって、全力で受け止めてきた。その全てが今の自分を創り出していると思うと、なんて幸せなことなんだろう。この生き方は、もうやめられない。

 

だからきっと、何年経っても、何十年経っても、私は自分に問い続ける。

『私は今、全力で生きていますか?』